Steve Jobs Was a Low-Tech Parent 重要なのはガジェットじゃない、かも

  • なかなか面白い記事を見つけた。NYTは最近ISとエボラ関連の記事ばかりになってきたので(もちろんその二つも重要)、オピニオンしか読んでいないのだが、これは久々にガツンときた。
  • 以下、記事リンク(英語)
  • http://nyti.ms/1lUC52Y
  • 全訳ではなく抜粋、かつ意訳になるが、日本語でも取り上げている記事は以下(日本語)
  • http://withnews.jp/article/f0141020001qq000000000000000G0010901qq000011003A#
  • スティーブ・ジョブスは自分の子供にiPhoneやiPadを使わせなかったという記事。他にもTwitterやFacebook,Dropboxのアドバイザーを務めていた名だたる人々が子供には「スクリーンをベッドに持ち込ませない」とのこと。
  • まあ、このブログをお読みの方々は、スマートフォン&タブレットの中毒性については痛いほど実感されていると思う。かくいう筆者もその一人である。2011年の末まで、ipod touchしか持たず、最近やっとスマートフォンを手にいれたから、それほどでもないと思うが、最近はKindleのおかげで読書までタブレットで済ませるようになってきた。職業柄、欲しい本は紙媒体しかないことも多いので、まだまだ紙の本も現役だが、5年後はどうなることやら。
  • 便利だし、有益なものなので、使うなという極端なことは言わない。しかし、生身のコミュニケーションを失いがちだということも確かなことである。
  • メディアに流れる情報量は増えた。しかし、だからといって情報の伝達スピードは早まったのだろうか。大部分はそうかもしれない。災害の速報や、犯罪・不正行為の伝達は確かに目覚しい。しかしながら、我々の可処分時間と、処理できる情報量はそれほど急激に変化しない。細い道路にいままでの50倍の車が殺到したら、渋滞は免れ得ないだろう。もしかしたら、我々の情報空間はすでに処理落ちを起こしているのかもしれない。処理落ちしていないとしたら、きっと情報を切り捨てているのだろう。それがたとえ別の局面で重要なことだとしても。
  • 調理できる食材は増えたのかもしれない。圧倒的に。それでも、食材の調理方法自体は実は貧困化しているのかもしれない。ニュースをそのまま信じることはできても、誰が、どのような意図で流しているのか、というリテラシーはむしろ下がってきているように思える。重要なのは、リテラシーの低下が公平に生じているわけではないことだ。賢い人は賢い子を育て、プアな人はプアな子を育てる傾向が強まっている。ジョブスはどちらだったか?支配者?それとも、従者?
  • 筆者はエリート主義者である。民主主義の単純な信奉者ではない。しかし、エリート主義が補完されうるには、「正当な」民主主義が機能しなければならない。すなわち知性ある人々によるエリート主義への支持とその実行・点検である。読めても理解していない。高等教育は知識を「知る」ことが本質ではない。では、高等教育の本質とは何か?知識を「検討する」ことにある。正しいと言われていることは本当に正しいのか?間違っていると言われたものは本当に間違っているのか?それを測るものさしとして、初等教育はある種の「前提」を与える。前提なくして我々はものごとを考えることはできないからだ。その前提を疑う営みこそが、「高等教育」そのものなのである。
  • わかっているやつはわかっている。しかし、多くの人々はそれを知らずに過ごす。もしかしたら、そちらのほうが幸せかもしれない。それでも、少数のエリートは「ルール」がどうやって作られているのか知らなければ、無知でいられる大多数の人々は、そのままではいられなくなる。そのエリートが育たない。そんな社会が目の前に迫っているのかもしれない。
  • まあ、液晶画面にはまりすぎず、適度な距離をとりましょう。手始めに散歩することから始めてみようじゃないか。意外な発見があるかもしれない。
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