言語にとって力とは何か いくつかの覚書

※この文章は、別のところで発表したものに修正を加えたものです。

プリンストンの概念辞書。Hさんに教えて貰った。無料で使える。

http://wordnet.princeton.edu/
人工知能や自動文章解析を学んだ人にとっては常識らしい。知らなかったー。

英語が数多くの学術分野において、最も優位な言語である理由の一つとして、近代学術文献やデータベースの圧倒的な充実が挙げられる。この点ばかりは認めざるを得ない。情報の質に関してはいくつか候補があるものの、処理可能な量の差は他を圧倒している。アングロサクソンというのは本当にとんでもないことをやらかしてくれたもんだ。

16世紀あたりまでは学術言語といえばラテン語だったが(いまでも医学用語はラテン語だったりする。もちろん「用語」のみで、実際の論文は英語が圧倒的。というかラテン語をまともに読み書きするのは長い年月がかかる)それ以後は各国語による記述へと変遷していく。近世哲学(近代哲学)だと、まずフランス語、そしてドイツ語、そこから英語という流れが一般的である。(分野によって異論があるし、そもそも思想史は誰をどのように区分けするかにも論争がある)

ラテン語や古代ギリシア語が必要になるのは古代・中世思想を学ぶ人の場合で、いわゆる近代の学問をやる場合には、極端にいえば、「英語・フランス語・ドイツ語」の三つができれば9割方なんとかなってしまう。原典主義が比較的強くない(もちろんないがしろにしているわけではない)英語圏の場合は、参考文献に英文翻訳が書かれていることもある(もちろん、博士レベルになればそうはいかない。とことん原典に強い人もいる)

現在では、思想史の世界は圧倒的に英語である。あのフランス人ですら英語でじゃんじゃん論文を書いている。フランス現代思想全盛の時代にあった自国語中心主義は表向きは影をひそめた形になる(文化的にはしっかり同化主義である。官僚構造による中央集権主義が未だに根強い背景かな)まあもともとフランス現代思想(と呼ばれているもの)はドイツ近代哲学の「批判的継承」だし、ドイツ近代哲学はソクラテス・プラトン以前の初期ギリシア思想を参照する。日本語で批判というと、ただ難癖をつけるだけのようなイメージがあるが、批判することはそもそも継承することなので「この人はこう言っている。しかし、わたしはこの人の考えのここが足りないと思う。なので、私なら〜」という継承が本来の意味だ。だから「批判的継承」というのは随分とおかしな言葉かもしれない。

膨大な良質のアーカイブスを参照できるというメリットは想像以上に大きい。英語は学術情報という人類の神経系統の根幹を引き継ぐことに成功したわけである。イギリスという国は、歴史的にヨーロッパ文化圏の中ではパッとしないところである。フランス・ドイツ・イタリア・イスパニア(スペイン)等は文化史に華々しい功績を記しているし、いくつかの国はそれこそ政治的覇権を握っている。

ただし、イギリスの面白いところは、ある時突然ポッと出てきて、強烈な影響を残して消えていくところにある。産業革命が最初に生まれた国は?近代市民政治が本格的に始まった国は?「日の沈まぬ帝国」と言われた流通体系と情報機構を最初に備えたのは?ビートルズやストーンズ、のちにはパンクを生み、ツィギーによるミニスカートブームの下地を作ったのは?そして、現在の金融システムの胴元は?イギリス、すなわち、女王陛下のいるグレートブリテン及び北アイルランド連合王国である。

好むと好まざるとに関わらず、我々は英語という言語の影響を逃れることができない。まあ、ラテン語や古代ギリシア語が共通語になることに比べたら、比べものにならないほどマシかもしれない。

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