日本語で高等教育をすることの限界

母語で学ぶことができないということ

Wikipediaを参照することはほとんどないのだが、日本語で初学者にある程度わかりやすい説明をしようとすると、Wikipediaしか無料で手軽にアクセスできるようなソースしかないことがある。

英語だとSEPがあるので、大抵はそこへ飛べば一発なのだが、日本語はそもそも翻訳が怪しかったりする。それでも最近はだいぶまともになってはきたが。

ソール・クリプキのページがひどくて、日本語だと数行なのに、本元の英語は詳細に書かれている。他の哲学者もビックネーム以外は似たようなものである。

幕末に開成学問所が洋書と次々と翻訳し、それが現在の東京大学の大本になったわけだが、昔の日本人というのはえらい根性があったものである。まともな辞書も文法書も教師もいない時代に、次々と体系の異なる言語を吸収し、技術を取り入れたわけである。とりあえず現代のほうが比べ物にならないほど楽である。

だが、悲しいかな、特に文系は学問のある程度のところまでは日本語で学べても、そこから先、最先端は英語に収斂している状況である。日本語しか話せない人には、最新の情報は得られない。仮に得られたとしても、フィルターを通した、ごく限られた情報しか手に入らないことは明白なのである。

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