ギークハウスゆるのみ@新丸子 に参加した。

  • 人が多かった。20人ぐらいきていたんじゃないだろうか。広いので入りきるのが、いつもの元住吉と異なるところである。キッチンも広い。
  • セブンワンダーズというボードゲームを初めて体験した。ゲーム自体はともかく、世界観は好きだ。古代の歴史が好きなので、こういうゲームは眺めているだけでも楽しい。
  • 性風俗と社会学について話した。熊本がすごい、みたいな下衆な話にもなったが、性風俗の社会学やフィールドワークは非常に重要である。社会をあるレイヤーから見た時、あるいは異なる立場を両立させるときの思考方法の断片を伝えたに過ぎなかったが、性風俗をアングロサクソンのように、社会的に認められないがゆえに悪で、それゆえに撲滅すべきだという立場ばかりがメインラインになっていくのは残念なことである。
  • 性風俗に関しては、逆説的だが、合法化して、当局の管理下に置くのが「社会学的に正しいやり方」である。過剰な取り締まりを行えば、却ってアンダーグラウンド化し、女の子が直接的な暴力に晒されやすくなり、無法化が進む。店舗型風俗店規制によるデリバリーヘルスの活況と「生本番競争」と「性病の蔓延」を防ぐには、合法化しかない。目障りだから、と単純に排除するにはあまりにも複雑な問題である。
  • ドミニオンも初めて体験。ビギナーズラックで優勝した。なかなか面白いが、時間がかかりすぎるのが欠点かな。
  • 新丸子は路が入り組んでいるので、ちょっと迷った。
  • バナナ差し入れ。手軽で、すぐに食べられるのでいいと思った。
  • こういったコミュニティは「ある種の価値を提示できるかどうか」で単なる馴れ合いの「シェアもどき」と判別できるだろう。「与えるがゆえに与えられる」というシェアをできる人間と、できない人間に分かれていくのだろうと思う。ギークハウスがその価値を提示できているのかもしれない。無論、排除的なフリーライダーも歩留まり的に混じってくることもあろう。そのときに「自分たちはこういう価値に基づいている」と言い得る組織だけが生き残っていける、少なくとも、家族代替的な関係を築けるだろうと思う。
  • 人間の能力は二重底で、単なる能力(プログラミングができる。料理がうまい。世界的なネットワークを持っている。仕事に対する専門知識がある etc) と「能力を発揮する<能力>」とでもいうべき、メタ的な力の関係があると思っている。どんなスポーツ選手も、重度のインフルエンザに罹っていたら、百%の力を出すことができないのと同じである。必要なのは、ベースを創りだす能力だ。ギークハウスが、ホームベースの一つとなれるかどうか、新しい住民と知識を旧住民が受け入れ、価値観に基づく包摂性を保てるかどうかが、これからのギークハウスの中点なのかもしれないと感じた。
広告