コングレス未来学会議

この記事はプログラマの映画 Advent Calendar 2015の19日目です。


 

予告編はこちら

公式サイトはこちら

http://www.thecongress-movie.jp/

宮台真司による絶賛はこちら

「フォルメン監督『コングレス未来学会議』は夢と現実の関係についての最高峰の考察だ」

http://blogos.com/article/128522/


本作に関しては、先の宮台真司による批評がすべてを貫徹しています。。

「現実を生きるためには、現実に稔りがなければならない。だが、稔りのない現実しかないのなら、現実を捨てて、夢に向かうことを責められるのか?」

プログラマが相手にしているものは、物理空間ではなく情報空間、つまり「夢」に相当するものです。我々は夢を操る存在です。換言すれば、ただの文字列に過ぎないものを、あたかも事実のように受け取っている人間は、常に夢を見ているに過ぎない。この文章だって、よく見れば所詮は光の点滅です。我々は光の点滅と紙に書いてあるシミを「文字」として情報処理し、その意味論、統語論的状況から、文意を「情報」として受け取っているだけに過ぎません。我々が、赤信号で止まるのは、そのような物理法則があるからではありません。交通ルールという「情報」があるからこそ、止まるという概念の把握と選択が可能になるのです。

しかし、薬理効果によって、情報に歪みを生じさせた場合、我々の「現実」は歪まずに存在していられるのでしょうか?もっと言えば、これを読んでいるあなたは今、薬理効果の影響下ではない、と言い切れるのでしょうか。多くの場合、絶対にそうではありえません。我々の脳に通じる経路には、ある一定の物質しか通さないゲートのようなものがあり、そのゲートを通過して、快楽や苦痛を経験することになります。ゲートを通過しやすい物質の一つにアルカロイドというものがあり、麻薬と言われるものは、このアルカロイドを利用します。

それじゃあ、麻薬を禁止しよう。そうはいきません。アルカロイドはすでに私達の体内に存在しており、アルカロイドの存在や生成を否定することは、私達が生きること自体を否定することになりかねません。

じゃあ、麻薬の生産は禁止できないんだね?そう単純にも言い切れません。麻薬によって引き起こされる犯罪が重篤な社会的、治安的危機を引き起こすが故に、公共の福祉に基づいて、我々は法理学的に麻薬を禁止する必要があります。

このように、我々の多くの問題は逆説を伴って現れます。「できないことはわかっているけれど、やるしかない」まさに「不可能と不可避性」が立ち現われてくるわけです。

「現実に稔りがないから、現実のために夢を用意してやろう」・・・・まさに不遜な態度かもしれません。しかし、その不遜さをわかった上で、社会構築に乗り出せるか、夢を夢でしかないと知りつつ、現実のためにフィクションを用意すること。フィクションがファンクションするために必要なのは、プログラムです。人々の心にフィクションを埋め込むことが、プログラマーの使命なのです。

「わからないで前に突き進むのか、それとも判ったうえで、間違いであることを知りながら、前に進む」のか。プログラマーはつねに後者でなければなりません。プログラマーはクリエイターなのです。

 


 

明日はSubaru365さんです

 

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